2007年3月14日 スペイン/セルビア経由
天気は晴れ。
この日撮影したのは、0枚。
使ったお金は、€72.55(¥153.37(七十七銀行参照))。
また足が霜焼けで痒くて、夜、暖房が効いているせいで体が温かく、痒くなって起きてしまった。薬を塗ればなんとかおさまるが、早く治したい。
Meridaに行くことを断念して、Lisbonへ。しかし、リスボンに行くには、一度Sevillaを中継しないと行けないとのことで、Sevillaへ。Sevillaに着いたのはいいが、着いたバス停からLisbonには行けず、バス停を移動しなければならなかった。バスを利用した時間がちょうど就業時間だったらしく、凄い混みよう。でも時間は15:00過ぎ。終業じゃなくて休憩なのかな。重い荷物を持ったままは辛かった。
(※最初は旅をしていた時の日記の感想をそのまま書いています。)
2007年3月15日 ポルトガル/リスボン
天気は晴れ。
この日撮影したのは、193枚。
使ったお金は、€72.55(¥155.09(七十七銀行参照))。
Lisbonに朝7時頃到着。日本人2人と韓国人1人と知り合い、その日本人の男女2人に同じホステルを紹介してあげた。(この時出会った日本人の女の子とは、今でも繋がっている。)
バスの中では赤ちゃんが泣いちゃって全然眠れなかった。こんな夜行バスに赤ちゃんを乗せなくても…。
寝不足で歩き回ったから疲れが〜。Lisbonは安全な街だと思う。坂が多くて疲れるが、住みやすい都市だ。
(※最初は旅をしていた時の日記の感想をそのまま書いています。)
リスボンで泊まった宿は、Lisibon Poets Hostel。ここのホステルは今でも覚えている。通りに面した入口に入るとレセプションがあり、その傍にはパソコンが並んでいた。2階に共有スペースがあって、クッションなどがあり街を見ながらくつろげた。
リスボン1日目に訪れた場所。
・ロシオ広場
・サンタ・ジュスタ・リフト
・シアード地区再建計画
・コメルシオ広場
・カテドラル
・サン・ジョルジュ城
・ポルトガル建築家協会支部
・D.カルロス・ビル
Paraca dos Rossio(Paraca Dom Pedro Ⅳ(ロシオ広場(
ドン・ペドロ4世広場)))
設計は Marques de Pombal(マルケス・デ・ポヴァル)
建設年は、18世紀。
リスボンの中心部に位置して交通機関も集中する場所で、現在の広場は1755年の大震災以降の再建だが、敷地は1255年のリスボン遷都当時から街の要所でした。かつての異端宗教裁判所の跡は、1846年にドナ・マリア2世となった。パリのコンコルド広場と同形の2つの噴水や初代ブラジル国王となったドン・ペドロ4世像などがあり、ポルトガルの歴史をそのまま反映している。18〜19世紀の建物が並んでいるが、その役割はきわめて現代的。
このロシオ広場に朝の7時頃にバスで到着。朝早い時間ということもあり、広場は静かだった。
Elevador de Santa Justa(サンタ・ジュスタ・リフト)
設計は Gustave Eiffel(ギュスタフ・エッフェル)
建設年は、1901年。
起伏ある敷地のリブボン市内にあって、生活のアクティビティに大きく影響を与え、坂の多いリスボンの街中にある高さ約30mのエレベーター。G.エッフェルは、エッフェル塔以前にポルトガルの鉄道敷設に尽力していた。リスボンやポルトの駅舎や鉄路、橋梁建設に深く関与している。このエレベーターやポルトのマリア・ピア橋もエッフェルやその弟子によるもので、この功績がパリへの試金石となったと言われている。
現代的な都市空間のありようを示唆した名作である。
Chiado District Reconstruction(シアード地区再建計画)
設計は Alvaro Siza(アルヴァロ・シザ)
建設年は、1988年〜。
1988年の大火によって損傷を受けたリスボンの旧市街シアード地区にある17軒の建物の復興計画。エレベータや階段の中央動線システムによって、用途別に自由な空間分割が可能となっている。
このシアード地区はこの辺りをぐるっと回っただけなので、ちゃんと調べてみると面白いかもしれません。
Praca do Comercio( コメルシオ広場)
設計は Eugenio dos Santos(ユジオ・ドス・サントス)
建設年は、1755年〜18世紀末。
今でも宮廷広場テレイロ・ド・パソと呼ばれるように、大震災以前は国王貴族の館が集まる場所であった。地震後、多くの商業者(コメルシオ)の資金で再建された後は、官公庁施設に囲われている。貴族から政治経済の場へと移行という時代の流れが読みとれる。川と街、川沿いと新街区への接点となる交通の要で、いつもにぎわっている。
テージョ川に面したリスボンの表玄関。川の中に向かう石段と2本の円柱が印象的な風景をつくっている。
Se Catedral(カテドラル)
設計は Robert Bernard。
建設年は、1988年〜。
路面電車が大きく曲がる坂道の途中に建つ教会。巡礼地のサンティアゴ・デ・コンポステーラの教会堂建設を担ったサンティアゴ派の作品。一派はこの後、ルーゴ、オレンセ、トゥイ、コインブラ、リスボン、エヴォラのカテドラルを建設する。ロマネスクの重厚な作りにラテン十字、3身廊、半円礼拝堂の構成に共通した手法が見て取れる。
ゴシック様式の歩廊。
Castelo de Sao Jorge(サン・ジョルジェ城)
建設年は、5世紀。
白の原型は5世紀の西ゴート族の要塞であるが、現在の形状は9世紀から建設されたムーア人によるものである。1147年に十字軍の援助を得て落城に成功したドン・アフォンソ・エンリケスは、ほぼそのまま城郭を利用した。テージョ川への入港とリスボンを一望できる丘陵選地は、ポルトガルの都市建設に共通した手法となっている。
白の上からリスボンの街並みを眺めることができる。
日本の東屋のような木組み。
ここから影響を受けたわけではないが、名古屋の新築住宅では蕪束(かぶらづか)という工法で広い空間をつくっている。
「広い空間を作る蕪束(かぶらづか)〜名古屋の家1(対峙しない家) Project Vol.12〜」
Portuguese Architects Association Branch(ポルトガル建築家協会支部)
設計は Manuel Graca Dias & Egas Jose Vieira(マヌエル・グラサ・ディアス & エガス・ジョゼ・フィエイラ)。
建設年は、1994年。
イスボンの若手建築家、マヌエル・グラサ・ディアスは、「EXPO'92セヴィリア博ポルトガル館」をコンペで勝利しており、このポルトガル建築家協会支部もコンペで勝ち取った作品。
密集した街区の中に突然現れるこの壁が印象に残っている。
建物の建つボア・ヴィスタ地区は、海沿いの埋立地で、密集度のかなり高い地区。このコンペは、19世紀の建築家・エンジニアであるピエール・ジョゼフ=ペゼラットの傑作「サンパウロの浴場」(1885年)を改修するものでした。
ディアスのコンペ案は、建物本体に敬意を表しつつ、パティオを保存して中央からの光を確保し、また道路側からは見えない東側の光井戸に面した高い位置に、プログラムに合った規模の図書館室を配している。
完成した建物には、3つの基本的なコンセプトが含まれている。第1にオリジナルのデザインにおけるネオ・クラシカルな装いを再評価し、それに対し、より現代的な解釈を与えること。第2に建物のプログラムと要求事項の適合性を確立すること。第3に抽象的かつ装飾的な西側に小さな建物を計画し、そこにオーディトリアムとレストランを作り、「サンパウロの浴場」の側面で隠されたスティール製のピロティをもつ光の空間をつくること。
と、旅で持ち歩いた「ヨーロッパ建築案内」から引用したが、この建物では階段が印象に残っている。
デザインはポストモダニズムの建築であるが、階段に使う素材とデザインで軽やかな階段に見えました。
Don Carlos Ⅰ Building(D.カルロス・ビル)
設計は Tomas Taveira(トマス・タヴェイラ)。
建設年は、1984。
リスボンの港近くにある敷地は、道路に沿って間口は幅広いものの奥行きはごく浅い。
6,000㎡の延床面積をもつオフィス・ビル。ファサード全面を構造グリッドとダイヤゴナル・ブレースが覆っており、構造がデザインになっている。
このビルを見て、日除けを兼ねた構造ブレースがファサードのデザインになった建築が頭に浮かんだのを覚えている。
Lisbon(リスボン)で気になった建築
これは、テラスの日除けがなんの取り柄もないビルにデザインを与えていると感じた建築。日差しの入り方などを計算して、デザインがデザインが機能になっている、機能がデザインになっている建築を設計したいと常々思っている。
BBVA。スペインやポルトガルでよく見かけた名前。ビルバオ・ビスカヤ・アルヘンタリア銀行。
この銀行の建物は、デザインされたものが多いイメージです。
窓の向きが特徴的なビル。
ポルトガルという日差しの強い国だから生まれたデザインのような気がする。
ヨーロッパの旅をする前に働いてた事務所が、集合住宅を手がけることが多かったせいか、集合住宅によく目がいっていた。これは、外部からからは壁で閉鎖的だが、内部は水盤を張った中庭を囲むように住戸のバルコニーが配置されている。
一見面白いデザインだなと思ったが、U字だとバルコニー同士が対面してしまうので、おそらく夜はカーテンやブラインドで閉じてしまうだろう。
Lisbon(リスボン)で気になった風景
サン・ジョルジュ城から見た風景。屋根の重なりが気になった。密集した街区では家が連なっているので、屋根も繋がっているようになっているが、屋根の高さが違うため、屋根の高低差でボリュームがわかる街並み。
もしかしたら、この風景が名古屋の住宅のプロジェクトにもつながっているのかもしれない。
リスボンと言えば、このトラム。1873年に運行を開始したリスボンの交通機関。旅ではこのトラムに乗らなかった気がする。トラムに乗ったイメージがない。
サン・ジョルジュ城からの帰りに、隙間から見えるテージョ川。この風景がジブリに出てきそうだなと思って撮った写真。
Grand Tour(建築の旅)に出た理由
なぜ、ヨーロッパの建築を見て回る旅、Grand Tourに出たか。
その理由は、こちらのブログに書いたので読んでみてください。
建築の大学を出ていない者が「建築家」に憧れヨーロッパを旅した日々
これまでのGrand Tour(建築の旅)2007
これまでのGrand Tourの記事はこちらから
「Grand Tour 2007 回顧録」
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