2007年3月5日 スペイン/バルセロナ5日目
バルセロナに滞在して5日目。
天気は晴れ。
この日撮影したのは、359枚。
使ったお金は、€7.17(¥152.25(七十七銀行参照))。
バルセロナパビリオン=ミースファンデルローエはやはり素晴らしい。平面計画、そしてディテールまで考え尽くされていた。
昼間までにミースを見て、お昼を食べたあと、あまりにも天気が良くて、公園のベンチで熟睡。ふと起きると、スペイン人が犬がいうことを聞かないことに腹を立てた。愛犬のべんを思い出した。拾った犬だけど、良い子だったな。
ジョアンミロ財団が工事のため休み。残念。
(※最初は旅をしていた時の日記の感想をそのまま書いています。)
German Pavilion, International Exposition(バルセロナ博ドイツ館)
設計はMies van der Rohe(ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ)
建設年は、1929年(再建は1986年)
カタルーニャのP.リベラ独裁政権下に開催された万博に出店されたミース設計のパビリオン。当時の政治的、社会的状況を表すように他のパビリオンが古典様式を採用する中で、特異な存在だった。屋根や床の水平性、十字柱と壁の垂直性だけで、近代建築の空間性を表現したこの建物は、バルセロナの建築界に衝撃を与えた。
(出典:世界の建築・街並みガイド1フランス/スペイン/ポルトガル)
National Art Museum of Catalunya(カタロニア美術館改修)
設計は Gae Aulenti(ガエ・アウレンティ)
建設年は、1995年「カタロニア美術館」の前身は、1929年のバルセロ博の「ナショナル・パレス」(政府館)として建設されたもので、1934年に「カタロニア美術館」として改修された。
設計者のガエ・アウレンティといえば、世界最大の展示空間をもつパリの「オルセー美術館」の改修で世界的に知られ、日本の世界文化賞も受賞したイタリアの女流建築家。「オルセー美術館」以外でも、「ポンピドー・センター展示空間改修」や「パラツォ・グラッシ改修」などで彼女の改修の力量は知られている。だが、改修以外でも「サンタ・マリア・ノヴェラ駅アクセス通路」や「セヴィリア博'92イタリア館」でもデザインの評価は高い。
ここでのガエ・アウレンティの主題は光だ。「オルセー美術館」でもそうだったが、光は彼女の円熟した技量で巧妙に用いるデザイン要素だ。既存のエレメントをすべて取り払ったホワイエには、作品の内奥を照射する光が細心の配慮をもって導入されている。また「建築の中の建築」を基本的なコンセプトにとらえたガエ・アウレンティは、あるシーンではその収集された作品があった元の教会空間を復元させて、オリジナルな空間で芸術体験をさせようと試みてる。新旧のモチーフを巧みにミックスして演出する彼女の展示空間は、それ自体が完結したひとつの鑑賞対象でもある。
(出典:ヨーロッパ建築案内1)
Torre de Montjuic(モンジェイック・タワー)
設計はSsantiago Calatrava(サンティアゴ・カラトラヴァ)
建設年は、1992年オリンピックのメイン会場となった丘のシンボルにそびえ立ち、電話通信機能を兼ね備える。独特な有機的なデザインと高度な構造力学から生まれた塔の外観は、細やかな白いタイルが貼られている。日時計としても使われ、塔の軸傾斜は夏至の太陽角度によっている。
(出典:世界の建築・街並みガイド1フランス/スペイン/ポルトガル)
Palau Sant Jordi(パウラ・サンジョルディ)
設計は 磯崎新
建設年は、1991年コンペ当時の礒崎案は有機的なルーフ・フォームがカッコよかったが、実施案は多少マイルドになったものの、パンタ・ドーム構法によって一夜にして屋根が建ち上がった。
(出典:ヨーロッパ建築案内1)
Joan Miro Foundation(ジョアン・ミロ財団)
設計は Josep Lluis Sert(ホセ・ルイ・セルト)
建設年は、1975年設計者のホセ・ルイ・セルトはコルビュジェの下で修行を積んだ後、独立してからバルセロナ→パリ→ニューヨーク→ボストンへとスタジを移し、その作品は中南米のキューバ、ブラジル、コロンビアをはじめ、北米はマサチューセッツ、ヨーロッパはパリやバルセロナ、そして中近東のイラクにまで拡散する国際であった。
生前ミロは、現代美術擁護の立場から仲間の協力を得て1971年に財団を設立し、同郷の友人であった建築家ホセ・ルイ・セルトに設計を委ねた。
ホセ・ルイ・セルトのデザインは、白セメントによる光に満ち溢れた空間。手入れの行き届いた周辺の植栽と見事なコントラストを生んでいる。平面上はふたつの中庭を中心に展示室が配されているが、敷地のトポグラフィに応じたレベル差によって変化ある展示空間が生まれた。
(出典:ヨーロッパ建築案内1)
Restructuration of The Montjuic Olympic Stadium(スタジアム)
設計はVittorio Gregotti(ヴィットリオ・グレゴッティ)、Federico Correa Ruiz(ファデリコ・コレア)、Alfonso Mila Sangnier(アルファンゾ・ミラ)
建設年は、1992年「スタジアム」は1929年の万博時の娯楽施設。グレゴッティらは均整のとれた55,000席のスタジアムに改修。
(出典:ヨーロッパ建築案内1)
Apartment Building(ニカラグア通りの集合住宅)
設計はRicardo Bofill(リカルド・ボフィール)
建設年は、1965年角地に建設された集合住宅。敷地形状にしたがって回転された壁が、スリットを設けながら連続している。
(出典:ヨーロッパ建築案内1)
Diagonal Building(ダイアゴナル・ビル)
設計はRafael Moneo(ラファエル・モネオ)&Manuel de Sola-Morales(マヌエル・デ・ソラ・モラレス)
建設年は、1993年建物はバルセロナの中心部にあるダイヤゴナル通りに面し、300mの長さを誇るコマーシャル・センター。店舗、オフィス、アパートメント・ホテルを含むマルチ・コンプレックス。ラファエル・モネオの建築は時の流れに影響を受けない伝統的な壁のコンセプトで裏打ちされている。だが、余りにも長い壁面は街路に圧迫感を与えないために、部分的に後退させることで、その連続性を打破している。
また垂直方向でも、建物の高さを段状に下げてマッシブな印象を軽減させている。開口部のバラエティも、変化ある外壁を生み出し、建物のオリエンテーションを決定する重要事項となっている。
(出典:ヨーロッパ建築案内1)
Edifici d'habitatges(ムンタネール通りの集合住宅)
設計はJosep Lluis Sert(ホセ・ルイ・セルト)
設計は、すでに紹介したジョアン・ミロ財団を設計したJosep Lluis Sert(ホセ・ルイ・セルト)。建設年はわからないが、周囲の集合住宅とは違い、ジョアン・ミロ財団のように装飾が少ないデザイン。窓の配置がシンメトリーになっていたり、正面に段差をつけることで、豊かな表情になっている。
Casa Vicens(カサ・ヴィセンス)
設計はAntonio Gaudi(アントニオ・ガウディ)
建設年は、1883〜88年ガウディが設計した最初の住宅。タイル業者M.ヴィセンスのための夏の家。19世紀後半の、未だ歴史主義的な色彩を残していた時期のもので、イスラム建築やムデハル様式(スペインのイスラム系様式)の雰囲気が感じられる。白と緑のタイルのパターン、タイル、粗石、レンガタイルの対比、執拗な細部のデザインに早くも特質が表れている。
(出典:世界の建築・街並みガイド1フランス/スペイン/ポルトガル)
Grand Tour(建築行脚)に出た理由
なぜ、ヨーロッパの建築を見て回る旅、Grand Tourに出たか。
その理由は、こちらのブログに書いたので読んでみてください。
建築の大学を出ていない者が「建築家」に憧れヨーロッパを旅した日々
これまでのGrand Tour(建築行脚)2007
これまでのGrand Tourの記事はこちらから
「Grand Tour 2007 回顧録」
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