高知県梼原町を訪れた理由について
高知県梼原町には、建築家隈研吾さんの建築多く点在しており、それらの建築を紹介していたら文字数が多くなってしまったので、こちらの記事はその続きの記事で、前回の記事はこちらです。
高知県梼原町には素晴らしい建築がたくさんある
ゆすはら座
高知県唯一の木造芝居小屋。昭和23年に建てられ、芹川松等を使用したユニークな造りで、庶民の娯楽の場として町組が建設したものです。当時から「梼原公民館」という名称で親しまれてきました。
以来、町組管理のもとに、映画館、芝居小屋、保育所などに利用されてきましたが、テレビの普及など経済社会の急激な変化に見舞われ、維持管理費が大きな負担となり、町組としては、昭和63年に取壊しを決議しました。
その後、木の里の文化を考える会が発足し、ゆすはら座」という木造の芝居小屋を守る保存活動に努めたことにより、昭和62年(1987年)には、保存運動に関わっていた高知県在住の一級建築士・小谷匡宏さんが、交流のあった東京の建築家・隈研吾さんを梼原町に招き、梼原公民館の木造建築に感銘を受け、自身も保存活動に携わっていくことになります。
これらの活動と併せ町外の著名人からも取り越すことを惜しむ声が数多くよせられ、平成6年9月、梼原公民館を移築保存していくことを正式に決定し、同年12月、町保護有形文化財に指定、平成7年に修復・移転しました。大正ロマン漂う和洋折要の建物で、桟敷席や花道も備えられています。
梼原は古くから林業の町で、大工さんや建築関係の職についている人がとても多く、芝居小屋の移築を進める際に、地元の大工さんと隈さんが一緒に作業を進めることがあり、そのなかで木や木材の持つ“素材としての可能性”に隈さんが目覚めたらしく、講演会などでは「梼原は自分の原点である」という趣旨の話をしているそうです。
旧掛橋和泉邸
明治維新の志士掛橘和泉(1835~1862) 邸で、代々神職を勤め子孫により守り継がれてきたが、平成10年(1998)に梼原1537番地から現在地に移転された。
幕末の建築で、かや屋根、梁行4間半(8.18メートル)、桁行9間(16.36メートル) 、大黒柱は1尺2寸7分(38.5センチ)と1尺2寸(36.4センチ)角、間取りは神殿前客間10畳、玄関の間6畳、中の間、奥の間各8畳、茶の間10畳の6部屋からなり、奥の間は天井が低く、危難の際を考慮じて階上に「姫限しの間」がある。
幕末には近隣の同志が、よく立ち寄り時局を談じたと伝えられている。なお、この敷地は吉村虎太郎など、代々の庄屋邸跡地であり、また、旧梼原村役場庁舎(1891~1935)跡地でもある。
森林価値創造工場 愛称「Y.F ゆすはら」
平成7年度活性化林業構造改善事業によって設置され、従来の製材工場のもつイメージを一新し、単なる原木丸太材の製材だけでなく、森林(forest)のもつ無限大の豊かさに、価値(value)を増大させるべく、新たな発想と創造(create)により「生産財」として、また「環境財」として活かすことを誓って名付けられました。
また、愛称の「Y.Fゆすはら」は、youth(若さ、元気)、young(若い、清新な)、yusuhara(ゆすはら)の「Y」と、forest(森林)、free(自由な)の「F」を採用し「Y.Fゆすはら」となっている。
梼原町森林組合は、団体としては国内で初めて国際的な森林認証機関FSCから森林認証を取得しました。FSCは1993年に設立された環境にやさしい森林を審査・認証する国際機関で、世界各地で活動しています。構原は森を守り、育てていく町でもあります。
FSC森林認証についてはこちら
「FSC森林認証とは」
間伐材や端材などから木質ペレットを生産し、ペレットストーブ等の燃料に活用するとともに、ペレット生産、利用による事業収入や企業との協働により森林づくりに取り組む循環モデル事業を展開しています。
また、官民一体となり森林資源の有効活用による環境と共生した循環型社会をづくりを目指し、その中核的事業として「木質ペレットエ場」の整備に取り組んでいます。
ゆすはらペレットは、地域で生じる製材端材や林地での間伐時に生じる未利用資源(端材)を原料にして、固形燃料である木質ペレットを製造する施設。ベレット化にすることにより、安定した燃料供給が可能となり、熱量を一定に保つことができるようになります。また、町内の公共施設や展業用ハウス等でこの木質ペレットを利用する機器が導入されています。
神幸橋
この橋は、川が綺麗だからなのか今まで見てきた木造の橋の中でデザイン的にも神秘性も含め印象に残った橋でした。
一千余年の歴史を引き継ぐ津野山神楽が舞い継がれる三嶋神社へかけられた歩道橋の「神幸橋」。まちの中心部から歩いて行けるので、ぜひ訪れてください。
形式としては、下路トラス橋。
三嶋神社
神幸橋の先にある三嶋神社。津野山郷の開祖・津野経高は、梼の木の多いこの地を梼原と名付け、延喜19年(919年)竹の藪より移り居城を築き梼原宮首に伊豆(静岡県)より三嶋明神を観請したと言われている。
境内には梼原町指定文化財のハリモミがあります。
ハリモミは樹齢400有余年、樹高30m、周囲3.7m、まつ科の常緑高木で、「バラモミ」ともいわれる。
豊臣秀吉が諸国の大名に朝鮮出兵を命じ、天正20年(1592)3月津野家23代領主親と中平左京亮尤義は、長宗我部軍に加わって「文緑の役」に従軍し、光義が帰国したとき苗木を持ち帰って、神社の境内と私邸のあった「泉屋敷」に植えたものと伝えられ、通称「朝鮮松」といわれていた。
檮原橋
檮原川にかかる3本目の木橋です。旧梼原橋は昭和11年に架けられたコンクリート橋したが、老朽化し車道の幅も狭かったため架け替えられることになりました。梼原川の上流と下流にかかる「御幸橋」と「六根の橋」はいずれも木造で、梼原橋はその間の両方の橋を見ることができる位置にかかっていますが、この2橋と異なり車道橋として設計されています。
木アーチでは円弧アーチが一般的ですが、この橋は放物線形状のアーチリブを持っており、シルエットも特徴的。
形式は、中路式アーチ橋。
Blogに載せている写真は一部で、この日に撮った写真の枚数は284枚。載せきれない写真は下記の事務所や大畠個人のSNSで載せれればと思います。
古民家の活用事例を見学するために愛媛県大洲市を訪ねる
梼原町で宿が取れなかったということと、梼原は高知県の東側にあり、すぐ隣は愛媛県です。以前、愛媛県大洲市を訪れた時に泊まりたかった宿を思い出し、その宿は古民家をリノベーション・コンバージョンして宿にしているので、その宿を見学するために愛媛県大洲市まで足を延ばしました。そちらの記事はこちら。
Blogでは載せきれない写真をSNSにのせています
大畠個人のInstagramでは、Blogに載せきれない写真を随時アップしているので、こちらも是非覗いてみてください。
Instagram:@ryoji.ohata
Facebookをやっている方はこちらから
Facebook:@大畠稜司
Twitterをやっている方はこちらから
Twitter:@RyojiOhata
Linkedlnをやっている方はこちらから
Linkedln:@Ryoji Ohata
弊社設計事務所のInstagramでも、現場や今までの事例などをアップしているので、こちらも是非。
Instagram:@ryojiohataarchitect_official
Facebookをやっている方はこちらから
Facebookではリンクが貼れるので、オープンハウスやイベント情報を載せることが多いです。
Facebbok:@大畠稜司建築設計事務所
Twitterをやっている方はこちらから
Twitter:@RyojiOhataAAA
是非、個人も設計事務所のアカウントもフォロー、いいねをしていただいて、情報をシェアしてください。
よろしくお願い致します。