名古屋の次は、神戸に移動
名古屋で建主と工務店との顔合や打ち合わせが終わり、次の目的地、新神戸に向かいました。主の目的は、香川県の余島を訪れることですが、新神戸で担当者と待ち合わせし、新神戸から余島に連れて行ってもらいます。
「走行距離1400kmの出張〜名古屋の家1(対峙しない家) Project Vol.07〜」
神戸YMCAの阪田さんとの出会い
なぜ神戸にあるYMCAと繋がりができたかと言うと、今年の9月からスタッフを雇い、広報の仕事として加わってもらいました。初めてのスタッフです。そのスタッフについては別の機会に紹介したいと思いますが、スタッフが営業をかけてくれて、その繋がりで神戸YMCAの余島野外活動センターの所長、阪田さんと繋がることができました。
まずは一度お話をしましょうと事務所に遊びに来てもらい、阪田さんからこれから余島を通して環境のことを広めていきたいと言う想いを聞き、私も建築を通して環境のことを伝えていきたいと思っていたところ、海外の体験などの話などで盛り上が利ました。
特に水について。
蛇口をひねれば水やお湯が当たり前のように出る日本では、水の貴重さを普段は感じないと思います。温水でお尻が洗えるんですからね。
「水を取り巻く事情」
阪田さんが活動している余島ではOne Campというキャンプをしており、そのキャビンの老朽化が著しいため、実際に見て欲しいと言うことから余島を訪ねました。
神戸YMCAが管理する無人島の余島
余島は小豆島から1km離れた沖合にあるため、新神戸から姫路に行き、姫路から小豆島まで大型フェリーで車ごと乗船し、小豆島を車で移動して、小豆島からボードで渡りました。
余島は、One Campを主催する神戸YMCAが、1950年から青少年のためのキャンプを行なってきた場所。
無人島の余島には、集会室やインフォメーションセンター、食堂、キャビンなど複数の建物があります。
南の浜ではキャンプファイヤーなどを行なっているとのこと。
宿泊者が止まるコンクリートのキャビンが複数あります。
日米YMCAの友好の印のダッドレー。このダッドレーについては、あとで説明しています。
このダッドレーを見たときに、すぐに「吉村順三さんの軽井沢の山荘」が頭に浮かびました。中も見させてもらうと綺麗にはしてあるのですが、もっと良くなると感じたので是非リノベーションをさせて欲しいと、つい阪田さんに訴えてしまったほど良かったです。
無人島とは言え余島はそこそこ広いので、一旦インフォメーションセンターに戻り、焚き火をしながら休憩。
久々の焚き火で、火を見ていると時間を忘れてリラックスできるのは不思議。
休憩後はまた余島を散策。
この建物を見て頭に浮かんだのが「アントニン・レーモンドの軽井沢の新スタジオ」。こちらもかっこよかったです。
島を案内してもらっていたら暗くなって来たので、メインホールで夕飯をいただきました。
普段の管理は小豆島に住む方が管理しており、そのお母さんが作ってくれた夕飯。このイカは軟らかく甘かった。
右下にあるのはオリーブの新漬。島以外ではなかなか食べれないそうです。
余島で体験できる無人島の朝
朝起きて、朝食の時間になるまで、また島を歩いてみました。
鳥の声が聞こえ、とっても気持ちがいい朝。
ここが無人島であると考えると、誰とも合わないんだなと改めて思い、そのことが自体が特別な気分になります。
南の浜。
南の浜から見る風景には、人工物がなく、時代を遡ったかのような気持ちになります。
南の浜から見るメインホール。
南の浜の東方向。何もありません。
もちろん南の浜の西方向にも何もありません。
何もないという特別な景色。
南の浜からは対岸の香川県の五剣山が見えます。
寝ている人の顔のように見えるのが五剣山です。
朝のメインホール。
雰囲気が教会のように見えませんか。
神戸 YMCAのOne Camp
One Campとは、神戸YMCAが「多様性を認め、受容する社会を実現する」をミッションにかかげる、キャンププロジェクトです。
キャンプでの生活は現実世界の縮図と言われており、その「キャンプ」という場で多様な価値観に触れる経験を通して、現実世界に何かをもたらすことができるのではないかと考え、多様な価値観に触れて、受け容れること、受け容れようとトライすることができるキャンププロジェクトです。
日米YMCA友好のしるしとしてダドレー・キャビン
1950年神戸YMCAがこの余島で開設した少年キャンプでは、毎年多くのキャンパーやリーダーが元気にプログラムを楽しみ、自然の中で友と語り、神を賛美している。そして彼らが社会へと巣立つ時、この少年達の若い日のその生活経験が如何に強い人生航路の支柱なるかは言うまでもない。
余島で育ちYMCAの精神を胸に抱き今、社会で活躍している青年達のうちから。この余島にリーダー達の奉仕生活の憩いの場所としてのスタッフキャビンを是非後輩に献げようと、ささやかな募金が三年前から始まった。この一人幡恵介君は1960年夏、米国ニューヨークYMCAダドレーキャンプでリーダーとして奉仕し、少年達に日本のYMCAを語り、余島キャンプを紹介した。同キャンプでは参加者一同、国際友好プログラムとして余島への寄附を決議し、500ドルの浄財が寄せられた。
一方キャンプ事業委員、阪根健三氏を始め神戸YMCA関係者一同もこのキャビン建設募金に協力、海をへだてた日米YMCA会員の善意と友情が実を結び「日米友好ダドレーキャビン」と命名され、1961年7月30日多くの少年達のよろこびのうちに落成記念式を挙げた。
尚、永年余島に奉仕された、故黒田治君(元キャンプリーダー)の意志を継ぎ、同君ご両親より特別献金が献げられたことを追記する。
1961年7月30日 財団法人 神戸市基督教育青年会(神戸YMCA)より
今後の神戸YMCA余島との関わり方
今後の関わり方はまだはっきりしていませんが、次は友人がボイラーの会社で働いており、その会社を阪田さんに紹介したところ興味を持ってもらえたので、来月は名古屋出張とお隣の岐阜出張で、友人のボイラー会社を神戸YMCAのメンバーと見学しに行きます。
余島を訪れて感じたことは、この島の環境を大切にしたいと思いましたし、この島を大切にしている神戸YMCAを大事にしたいなと思いました。
大事にするというのは、神戸YMCAの活動が今後も継続するように何らかの形で協力して行きたいと思いました。
環境を維持することだけでも、本当に大変だなと感じたので。
薪を使ったボイラーを視察
2021年06月09日に追記
阪田さんたちと話し合っていると、今までの繋がりで神戸YMCAさんに紹介した会社が思い浮かんだので、早速繋ぐことにしました。その会社は、薪を使ったボイラーを広めている会社で、薪を使ったボイラーであれば間伐材を使って給湯ができるため、余島には向いているのではないかと思います。
その記事については、こちらから。
次の目的地は静岡県浜松市。
新神戸に戻り、そこから次の目的地、浜松に向かいます。
浜松までの距離は約284km、走行時間は約4時間。
浜松に寄る理由は、名古屋市で進んでいる新築住宅でOMソーラーのパッシブエアコンを導入するため、一度OMソーラーの本社を見学したかったので、浜松で一泊です。
お昼を食べそびれてしまったと言うことと最近お肉を食べてないしジビエが食べたいなと思っていたので、浜松に着いたらお肉を食べようと運転中ずっと思っていた。そこで浜松市に住んでいる友人にお店を紹介してもらい、食べに行ったのが美味しいジビエが食べれる「34DINER(サンシーダイナー)」さん。
柔らかく仕上げてあるジビエ。
1人で食べに行ったので、できれば大勢で食べに行って色々な料理を食べながらお酒を飲みたいお店です。
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