東日本大震災から9年
事務所を立ち上げたのが2012年。
今から8年前。
東日本大震災の翌年。
東日本大震災がおきた2011年は住宅を多く手がける事務所で働いていて、現場に向かっている地下鉄の電車の中で震災が起きました。地下にいたということもあり、地上よりも揺れを感じることがなく、何が起きたのだろうと思うほど揺れはありませんでした。
事務所から電話があって非常事態が起きていることを知り、地上に出て、家族が都内にいるということで、東京駅で待ち合わせ、父親に車で向かいに来てもらい普段でああれば1時間で帰るれる道のりを3時間ぐらいかけてなんとか帰れたのを覚えています。
震災が起きた時はまだ自由に時間が使えず災害に対してすぐに行動を取ることができませんでした。
働いていた設計事務所の最後の方は、給料が支払えないから辞めてもいいし、続けてもいい、と言われ、他のデザイン事務所でアルバイトをしながら現場管理を続けてました。
今でいう副業なのかな。
辞めてもいいよと言われた時に、辞めるという選択肢がありましたが、給料がもらえないのは事務所都合であって、当時2つのプロジェクトが並行していてその現場監理をさせていただいていた建主には関係はなく、途中で担当者が変わるのは震災で不安の中、さらに不安な思いをさせてしまうだろうし、仕事を途中で投げ出すということはしたくなかったので、他でアルバイトをしながら現場監理をしいて、さらに1級建築士の勉強をしてました。
震災が起きた時は時間がありませんでしたが、2つの住宅のプロジェクトを無事引き渡すことができ、働いていた事務所を辞め、お金はなかったけど時間があったのでできる限り毎月石巻を訪れようと、新宿から夜行バスに乗って仙台市まで行き、当時はまだ仙石線が復旧してなかったので仙台市から石巻市までバスで通っていました。
帰りは、その逆で、仙台から夜行バスで早朝に新宿に戻ってきて、そのあとアルバイトに行ったりしていましたね。
石巻に通いながら、コミュニティデザイナーの山崎亮さんが講師を務めていた東京芸術学舎で行われていた社会人向けの講座に通い、そこで色々な地域に通っている時に、活動拠点が欲しいなと考えていました。
被災地を訪れてもっとも考えさせられたのは、有事が起きた時に共に活動できるコミュニティの重要性と、コミュニティが形成されている場所は復興が早いということでした。
そういった、ふるさとという最前線での活動や宮城県石巻市を訪れた時に考えていたことを形にしたのがOne Tableです。
そのOen Tableは2016年から続けて3年が経ち、今年の夏で丸4年が経ちます。
3年続けて、少しずつ認知され、外部からも評価されるようになりました。
その評価については、発表できるようになったら発表します!
地域の拠点となれるように、これからも各店主たちとOne Tableを盛り上げていきたいと思います!
東日本大震災から9年が経ち、だいぶ風化しているようにも感じているので、「忘れない」ということ、「関わり続ける」ということを続けるためにも、今後も宮城県石巻市のクラフトビール「巻風エール」をOne Tableで提供していきます!
石巻を訪れる理由とその後
2014年02月22日〜23日
「石巻を訪れるきっかけとなった自転車と手紙」
2014年03月11日
「震災から3年目の3月11日の石巻市」
2014年04月18日〜19日
「Architecture for Humanityという団体」
2014年05月17日〜18日
「震災後の子供の心」
2014年06月13日〜14日
「宮城県石巻市を散策」
2014年07月31日〜08月01日
「第91回石巻川開き祭り」
2019年04月12日〜13日
1台の自転車がきっかけで石巻へ