建築家として何ができるか
震災以後、建築家として何ができるかということをよく考えていた。
ボランティアとして、手伝いに入ることは一個人としてはすぐにできるけど、国家資格をもつ建築家ができることはあるだろうと考えていた。
災害後の支援をしている建築家として有名なのが、坂茂さん。
東日本大震災では紙管で作った仕切り《避難所用簡易間仕切りシステム》により避難所の環境を改善に貢献された。
建築家として有事に貢献できる職能、それは建物を建てることもできるかもしれないけど、アイデアなどで貢献できることがあるのかと悶々としていた時に、災害時に建築的解決策を提案する「Architecture for Humanity」という団体のことを知った。
Architecture for Humanity
「Architecture for Humanity(アーキテクチャー・フォー・ヒューマニティ)」とは、サンフランシスコを拠点に、世界中の建築家と協働しながら社会の課題を建築で解決するNPO団体で、キャメロン・シンクレア (Cameron Sinclair)さんが主宰している。
キャメロン・シンクレアさんは、1973年ロンドンに生まれ、ウエストミンスター大学建築学科を卒業し、ロンドン大学バートレット校大学院建築学科修了された。在学中にホームレスのための住居について学び、建築設計事務所を経て、1999年にNPO「Architecture for Humanity(以下AFH)」を設立。
災害や病気や貧困など、人道的な支援のために必要な建築的解決策を提案し、それを必要とするコミュニティに提供する活動をしている。
僕たちは、世界中の災害や病気、貧困などの問題を抱えている地域に建物を建てています。そういった地域に生きる人たちが、安心して安全に生活を送るのに必要な建物は、彼ら自身の手で、身近な資材を使って建てることができるものでなければいけません。そのために世界中の建築家から、それぞれの地域にあった建築の工法やデザインを公募するのです。そして、現地にスタッフをひとり派遣し、指導する。様々な社会問題を、建物を建てることで解決しようとしています。いつどこで何が起こるかわかりませんが、昨年のハイチ地震のときも真っ先に駆けつけました。
(出典:OSOTO Webより)
僕が建築家、特に昔の建築家から学んだのは、建築家としてできることを都市へと還元することです。17、18世紀の建築家たちは、「都市が私にチャンスをくれた。だから私も都市にチャンスを与える」といって、自分たちのスキルを都市環境の改善に活かそうとしてきたのです。つまり、建築家と都市の間に社会的な会話があったわけですね。一方、現代の建築家は都市に何かを還元しているでしょうか。立派な超高層ビルを建てても、その足元でホームレスが寝ているとしたら、僕にはそれこそが無視できない問題だったのです。
AFHの日本支部、「まきビズ」
「まきビズ」はAFHを母体とし、震災後に日本支部として設立され、スローガンは、「デザインの力でよりよい未来を」。
被災地の方たちが自身の足でより良い生活の再建に向かって立ち上がれるよう、はじめはコミュニティ施設の再建など、建築に関わる支援をしていたが、現在は建築からビジネスまで多岐にわたる専門的なアドバイスと必要なサービスを提供し、人々が繋がるコミュニティを作っています。
すべては、そこに住む人たちが思い描く復興を形にするため。
「石巻」と「ビジネス」で「まきビズ」。
たくさんの人をまきこんでいきたい、という意味もこめられているそうです。
そのまきビズの活動を実際に見たくて、先月、石巻のまきビズをいきなり訪ね、色々と話を聞かせていただき、今回、まきビズの吉川さんに新人スタッフの阪本さんと一緒にAFHのプロジェクトを案内してもらいました。
夏の家
「夏の家」は、AFHが関わったプロジェクトではないが、2012年8月26日(日)~2013年5月26日(日)まで、東京国立近代美術館の前庭に、憩いの場として公開されたもので、「夏の家」の設計者であるスタジオ・ムンバイの代表ビジョイ・ジェイン氏は、設計・施工にあたり、津波によって散り散りになってしまった多くの家が再び寄り集まっていくという思いを込めており、会期終了後も「夏の家」が人々に利用され続けることを望んでいました。
そこでジェイン氏は、震災後、被災した方々が集える建物を設置する「みんなの家」プロジェクトを提案・実施している「帰心の会」に声をかけ、同会の協力のもと宮城県石巻市十八成浜に移設し、現在、「牡鹿半島のみんなの家」として公開されている。
「夏の家」の近くに建っていた「ぼっぽら」。
浜のお母さんたちが作るお弁当を販売しています。
「食」には人を集める力がある。
前網浜コミュニティハウス
「前網浜ベニヤハウス」は地域間伐材を用いて3尺×6尺の最も普及しているベニア合板を用い、それらを簡便に組み上げることによる低コスト簡易建築を設計・建設されました。
宮城県石巻市前網浜のコミュニティのための集会所兼倉庫として活用され始めています。
「前網浜ベニヤハウス」からの眺望が最高!
縁側のような窓に座ると、本当に気持ちよく、ここはずっと活用されるような気がする。
AFHから賞をもらっているそうだ。
女川町
次の北上のプロジェクトに向かう途中に女川町を案内してもらいました。
ここには街があり、人々が生活していた。らしい。
言われないと、想像することが難しい光景が広がっていた。
自然の力、津波の威力が伝わる、鉄骨造の建物。
人と写すと、この建物の大きさが伝わる。
鉄骨造の4階建ての建物は、当初は江島島民の宿泊施設として利用され、最近では、民間事業者が事務所や船員の宿舎として利用されていた。
津波により、建物が元の位置から10〜16m程度移動し、現在満潮時に20cm程度浸水している状態。
丘の上にある病院からの景色。
この丘の高さでも、人が身長以上の高さまで海面が浸水していた。
WE ARE ONE 北上
AFHが関わった「WE ARE ONE 北上」。
仮説住宅のお母さんと達と企画し地域の建築家と一緒に建てた、食品店兼コミュニティセンター兼子供ハウスの「WE ARE ONE 北上」。
“兼”が2文字あり、1つの建物で多用途な使われ方をしている。
この日は、開いてなかったので中を見ることができなかったが、WE ARE ONE 北上は、震災により壊滅的な被害を受けた石巻市北上町の町民と一緒に「コミュニティー・なりわい・集落」これら3つの再生を柱に、住民の女性を中心に活動している団体です。
WE ARE ONE 北上の近くにあるこちらの仏像は、震災前まで町の方を向いていたらしい。それが、津波により回転し、今は海の方を向いている。
日本昔ばなしに出てきそうな、実際の話。
石巻の「いまむら」
夜、AFHのスタッフが案内してくれた料理屋、「いまむら」さん。
ここにあった日本酒、「まつど」。
この日本酒がきっかけで、店主の今村さんが松戸出身ということで話が盛り上がった。
震災直後、ボランティアとして石巻に入り、石巻でボランティアを続けている中で、石巻で自分の店を構えるようになったという。
ここで使われている食器やインテリアは、地元石巻の作家さんが作ったもの。
宿には、石巻工房のベンチがあり、石巻にはクラフトマンシップが感じる。
石巻の春
翌日は、日和山の桜を見に行きました。
日和山の帰りに、先月お邪魔した山形屋商店さんに寄りました。
山形屋さんにまきビズの阪本さんを紹介しながら、わかめ用ドレッシングを購入して帰りました。
石巻を訪れる理由
2014年02月22日〜23日
「石巻を訪れるきっかけとなった自転車と手紙」
2014年03月11日
「震災から3年目の3月11日の石巻市」
これまでに訪ねた地域
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