すぐに行動を起こしてくれた余島の仲間たち
※掲載の写真は全て仲間から送ってもらった写真です。
年始に甚大な被害をもたらした能登半島地震。
この直後にすぐに動いたのが、余島でお世話になっている仲間(森本さん、阪田さん、山本さん)です。
ボランティアが入れない時に、石川方面に仲間もいるということから1月2日から森本さんは物資を届けながら情報収集をし、阪田さんと山本さんさんは1月6日に森本さんと共に輪島市の孤立集落に向かいました。
地震の揺れの酷さで、道路が寸断され、発災当初は孤立地域が多発。
道とは言えないところを通って孤立集落に向かったそうです。
山道を3時間ほどで下山町に到着し、元気な仲間の姿を見て「元気な人たちだね」とお婆さんは涙を流して喜んでくれたとのこと。
物資が届いたことも嬉しいかもしれませんが、助けに来てくれたという人の温かみが嬉しかったのかと想像します。
それからも断続的に現地に足を運んでくれています。
今できることを
すぐに動いてくれた仲間たちと一緒に能登に入りたかったのですが、去年から忙しくさせていただいており、目の前のクライアントも大切な方々なのでグッと堪えて設計をしております。
東日本大震災の時は独立前で1級建築士の勉強もしている時ということもあり何もできず、2016年の熊本地震の時は独立後でしたがその時もアクションを取れずにいました。そして今回もアクションが取れずにいたのですが、今できることとして遠方から仲間を支えることはできるだろうと考え、すぐ支援金として仲間に10万円ほどですが寄付しました。
この寄付金は、被災者に渡していただいても、物資に使っていただいても、支援者の森本さんたち自分たちのために使っていただいてもいいということをお伝えし、寄付をしました。
その後の支援としては、職能として建築設計の無償支援ができればとも考えており、現地に入った仲間にも伝えました。
このような災害が起きるといつも思うことがありますが、それは最後に書きました。
その後もボランティア活動を続けている仲間
ボランティアの受入れが始まった時には、3月16日から20日にかけて神戸YMCAで活動するボランティア14名とともに、能登町ボランティアセンターにて活動してくれました。
倒壊した家屋や、津波被害の家屋まで行き、家財の片付けやガラス戸、瓦、ブロック塀、畳などを搬出。
公費解体のお家は、これから取り壊しを待つだけなのですが、そこで暮らしている皆さんにとってはすべての瓦礫はゴミではなく、思い出の詰まった生活品です。
これは建て替えなどで家を解体するときも同じです。
阪田さんは、
「物資ではなく心を運べ」
「瓦礫撤去ではなく心に寄り添え」
これらを合言葉に、「困っている人がいたら助けなさい」という教えを実践すべく、行動を続けてくれています。
しかし、まだまだ困っている人々はたくさんおり、今後の支援もどうぞ宜しくお願いますとのことです。
災害があるたびに思うこと、例えば被災建築物応急危険度判定士
災害があるたびに被災建築物応急危険度判定士を取らなければと思っていたのですが、これを機に被災建築物応急危険度判定士となりました。
応急危険度判定制度の目的は、応急危険度判定は地震後、余震などによる建築物の倒壊や落下物、転倒物による二次災害を防止するため、できる限り速やかに建築物の被災状況を調査し、当面の使用の可否について判定することを目的としています。医療のトリアージに近いかもしれません。
これで災害が起きれば被災建築物応急危険度判定士として何らかの助けはできるようにはなりましたが、もっと根本的な部分を考えています。それはクライアントからいただいた建築設計料を寄付することも大切ですが、何かアクションを起こすとなった時の体制が事務所にはないということです。現在、広報として一緒に働いてくれているスタッフはいますが、設計の仕事がある以上、私自身は事務所を離れることはできません。そのため、建築設計料や打ち合わせ回数などを見直し、利益率を高め、事務所自体の体力をつけなければいけないと痛感しているここ数ヶ月です。